1次関数とか球の表面積とか……
そんなの日常生活で使ったことないよ!
習う意味なんてあるの?
電車が安全に走るのも、災害に耐える家が建てられるのも、
スマホやパソコンが使えるのも、
全て数学がなければ絶対に出来ないものじゃ。
その他にも、円滑なコミュニケーションを取るコツに
数学的思考力が活用されるぞ。
Inhaltsverzeichnis
学年が上がれば上がるほど複雑さを増していき、どこかの単元でつまづくと一気についていけなくなる教科。
その代表が数学です。
日常生活では決して扱わない分野にまで義務教育で勉強させられるし、数学は楽しくないって思う人にとっては非常に苦痛を感じながら日々を過ごしていることでしょう。
クラスを見回せば「数学が得意な人と苦手な人とでは、成績が極端なくらい分かれている」なんてことが珍しくないはずです。
出来る人はテストで難なく90点以上取っていきますが、苦手な人は赤点のボーダーラインと競うことに。
何が違うのか?
先に結論づけると、具体的に以下の3点が大きな影響を与えます。
- 公式は暗記せず、理解する
- 途中式は省略しない
- 正しい道に辿り着くまで投げ出さない
そもそもの計算力の速さは別問題として置いときます。計算力の速さは継続的な訓練による適応力・瞬発力・抑制力があって身に付くものですから、今回のテーマでは扱いません。
『投げ出さない』なんてのは、胸に突き刺さる人もいるかもしれませんね。
「そんなこと気にしなくてもどうにかなるって!」と言う人もいるかも知れませんが、それだと『何のために数学を学んでいるのか』答えることが出来なくなります。
数学は、覚えたことが将来使えるかという観点以前に、
人と関わる以上『絶対的に必要な能力』を鍛える大切な科目です。
数学的表現力 = 説明の丁寧さ
数学が出来るかどうかで、”人に説明するのが上手か”が枝分かれします。
「昨日こんなことがあってさー、」なんて他愛もない話でも、【相手にどのくらい伝わるか】が数学的思考力で決定的に変わってしまいます。
2) 数学的に表現する力
数学的に問題を解くことは,単に数式を用い,計算をして解答にたどり着くことではありません。どのような考え方に沿って問題を解決したかを,数学的に正しい表現を用いて論理的に説明することです。入学試験においても,自分の考えた道筋を他者が明確に理解できるように「数学的に表現する力」が重要視されます。普段の学習では,解答を導くだけでなく,解答に至る道筋を論理的かつ簡潔に表現する訓練を十分に積んでください。
これは東京大学が志望者に向けてアナウンスしている内容の一部です。
東大なんて目指してないし…という人には関係ないかと言えば、全くもってそんなことはありません。
それどころか、中学生でも小学生でも深く関係のある内容です。
この文章は、勉強することの真意を見出すための重要なヒントです。
ここでは、数学において大切なことは『どのような考え方に沿って問題を解決したかを,数学的に正しい表現を用いて論理的に説明すること』であり、ただ「答えを求めること」を目的にすべきでないと説明されています。
つまり「過程」が大切なのです。
「なぜそうなるのか?」という疑問に答える努力をすることにこそ、数学的思考力の意義があります。
暗記をしない。理解をせよ。
例えば、中学入試にも出題されるこの問い。
『円周率=3.14』だと小学5年生で教えられますが、
なぜ『3.14』なのか、あなたは考えたことがありますか?
『3.14』という値だけを単に暗記するのではなく、その値が「円周率=円周÷直径」として成立する理由を求めることが重要です。
しかしこの疑問にきっちり解説しようとすると、どうしても微積分など高難易度の数学理論が必要となってしまいまあす。
そんな理由もあるがゆえ、学校の授業では、肝心な説明をあまり行いません。
数学において、暗記はかえって効率が悪くなりやすいです。
テストで使えるかという問題ではなく、勉強する意味を失います。
「この数式・定義は何のため?」という疑問に向き合うのか、
はたまた難しいことを考えるのは面倒と言って丸暗記するのか。
後者を選択しておいて、「数学を勉強する意味なんて」というのはあまりにも不恰好でしょう。
どうせしんどい思いして勉強するのなら、少しでも身になるやり方をした方が得っていうもんです。
途中式は省略するべからず
数学において大切なのは、確実に相手に納得してもらえるよう説明できる能力です。
「なぜ?」
「どうして?」
それを解決する力、説明する力が『数学』にあります。
手近なものだと、こんな計算式にも言えます。
この計算式はまちがっています。正しい答えではありません。
しかしこれでは間違えた原因が分かりにくく、「なぜこの答えとなったのか」説明が困難です。
仮に合っていたとしても、やっぱり一目では論理が理解できません。
計算式は、他人が見ても「なぜこの答えになったのか」が納得できる形でなければ意味がありません。
それこそが、
『解答に至る道筋を論理的かつ簡潔に表現する訓練』です。
こうだと、「なぜこの答えになったのか」納得しやすいですよね。
途中式を丁寧に書いた方が見直しの時に間違えていないかチェックしやすいですし、なにより、暗算するよりも圧倒的にケアレスミスを防げます。
このようなシンプルな計算問題で、途中式を書かずに計算する人が結構います。暗算できるほど計算力が高いわけでもないのに。
理由を聞くと「書かない方がカッコいいから」と大体返ってきますが、そういう人達はみんな計算ミスを連発しています。
果たして、途中式を書かないでミスを連発するのと、途中式を書いてミスを減らすのと、どっちが格好良いのでしょうね。
数学が得意な人ほど、途中式を書いた方がミスをしないため、結果的に正解に辿り着くのが早くて効率が良いと知っています。ので、絶対失敗しない自信のある簡単な計算以外は、途中式を省略なんてしません。
なんなら、数学者の中には「最も美しい途中式」を遊びで求め出す人もいるほどです。
この「途中式を丁寧に求める考え方」は、何気ない日常生活の中でも頻繁に必要になることがあります。
例えば。
部活などのチームで『大会で優勝する』という目標は立てたけど、
「で、大会で優勝するためには何をしなければいけないの?」を具体的に考えないまま、なんとなく練習の日々を過ごしてしまう。
これは結果を取れないチームによくあることです。結局何がどうなれば優勝するほどの実力となるのか考えないのは、「目標がないこと」とやってることが全く一緒になってしまいます。
実力をつけるためには、
- 「最終的にどうなる(具体的に何がどのくらいの実力であるべきか)のが理想的なのか」
- 「今の自分の状況(能力値)はどんなものなのか」
- 「まず何を最優先にできなければいけないのか。まず何から始めれば良いのか」
- 「何が出来るようになれば、次の段階へ進めるのか」
と、ゴールに向けて階段を一歩一歩ふみしめるように、1つずつ考えて、計画して、1つずつ取り組まなければいけません。
これが、解答に至る道筋を論理的かつ簡潔に表現する能力なのです。
途中式を書くことを徹底するだけで、数学のテストの点数が上がるはずです。
良いスタートが見つかるまで諦めない根性
この動画の中で、数学者である千葉逸人は、数学の証明を山登りに例えていらっしゃいます。
どうやって頂上に行こうか?
この道を登ってみて…行き止まりだった。じゃあ道を変えて…また行き止まりだった。
で、その正しい道を見つけた瞬間が一番嬉しくて。
そこから頂上まで登る作業は、言ってみれば機械作業。やればできること。
ご自身が考案された数式が成立していることを証明するのに6年かかった、とおっしゃっています。
でもこの山登りの話をうかがうに、6年という時間は特別しんどいものだとは思っていないようです。
おそらく多くの人が、数学を解くときに「全然解けない!全然答えが出ない!もうイヤ!」と投げ出してしまう気持ちに至ることがたくさんあるかと思います。
でも数学の問題を解くのには重大がコツがあり、それに気付けずに苦手意識を持っている人が多いのが事実です。
それが、『適切な1行目を書くこと』です。
これは算数オリンピックから出題された問題。つまり小学生が解く問題となっています。
ものすごく遠回りな計算をすれば、やがて答えには辿り着くのかもしれません。
ですが、問題としての完成度はさすが算数オリンピックと言わざるを得ないほど素晴らしいです。気付きさえすれば驚くほど簡単に解けてしまう方法があります。
まずは解いてみましょう。
そして、答えが出せたら「これよりもっと簡単に求められる方法がないか?」探してみてください。
以下のQuizKnockの動画で解説されておりますので、自分なりに最短の解き方を見つけてから答え合わせをしてみましょう。
天才くらぶチャレペー(1) 「考え抜く力」が身につく! 総合編〈数・かたち・考える〉 [ 算数オリンピック数理教室アルゴクラブ ] |
問題を解決するためのコツは、「何からスタートするか」です。
これはなにも、数学だけに限る話ではありません。
テレビやSNSなどでも、例えば政治の話になると、1つの話題に対して紛糾することはよくある光景です。
でも、考え方の出発点を間違えてしまったまま、ただただ自分の価値観を他人に押し付ける主張ばかり繰り返す人がどうしても目立ちやすいのが実情です。
「本当に議論するべきポイントはそこなのか? もっと根幹から解決しなければいけないことがあるんじゃないのか?」と本質を突き詰める努力をしないと、ただ騒ぐだけ騒いで勝手に良いことしてやった気分に浸ってるクレーマーと性質がなんら変わりません。
大切なのは、「その問題の本質はなんなのか?」を考えることです。
その考え方のクセを身につけるには、数学の問題はとても良い教材となります。
数学の試験問題というものは、出題者は必ず答えが出るように作成しています。
なので複雑な問題を解くときに、まず「出題者は何の公式・定義を使って解かせようとしているのか?」と考えてみることが、解決するための最大のコツといえるでしょう。
デタラメな数値が答えになる入試問題を作るより、いろんな公式を使い頑張って解いた答えが「1」みたいにシンプルになる入試問題の方が、解いてる側は達成感が強くなります。
また「この問題を通して気づいてほしい」と入試問題の内容を使ってメッセージを発信することもあります。
そうやって作る側の工夫が施されている問題も少なくありませんから、『ただ問題を解くこと』に固執せず、『なんでこの問題を作ったのか』と広い視野で落ち着いて見つめると、新しい発見ができるかもしれません。
数学の問題には答えが用意されています。
でも、実際の日常生活でぶち当たる問題には、明確な答えなんて用意されていません。
それでも解決しなければいけません。
明確な答えもなく、どうすればいいか途方に暮れてしまう・・・
そういうときにチカラをくれるのが、数学で培った能力です。
数学とは、自信をもって生きてくための知恵を与えてくれる科目なのです。
「昨日こんなことがあってさー、」なんて他愛もない話でも、【相手にどのくらい伝わるか】が数学的思考力で決定的に変わってしまいます。
その理屈は、
- 誰にでも伝わるように、丁寧に順序立てて説明できるか
という能力が必要不可欠だからです。
ここまでで説明したものは全て、自分もしくは他者からの「なんで?」を解決するために必要なスキルです。
ただ答えを出すだけで満足していると、あなたの説明はまるで‘‘ウミガメのスープ問題’’みたいに理解が難しくなってしまうでしょう。
それで「なんで分かんないの?」「察してよ!」なんて、あまりにも自分勝手な話です。
コミュニケーションとは、説明の設計図を組み立ててから、それをなぞるように、目の前の相手の反応を伺いながら、結論まで滑らかに導いてあげる技術が重要です。
その基礎を磨き上げてくれるのが、『数学』なのです。
中学2年生で習う『証明問題』は、その最たる例です。これができないなら、他人に自分のことを理解してもらえなくても当然となってしまうのです。
「なぜ?」を説明できないのですから。
また、国語で取り組む『作文』もまた、この数学の重要性を集約した究極のコミュニケーション勉強法です。
作文は『語彙力』+『数学的思考力』の両方が出来て初めて取り組むことのできる応用的なものであり、しかしながら会話より難易度の低いものです。
話始め10秒でバレる「話が下手な人」の最大の特徴【東洋経済オンライン】
説明がうまい人はやっている 「数学的」話し方トレーニング 説得力が飛躍的にアップする28問 (PHPビジネス新書) [ 深沢 真太郎 ] |
数学は、物理現象やデータなどを詳しく調べるために用いるのが一般的ですが、それ以上に日常の思考・行動に大きな影響を与えています。それは、”数学で習うこと”というより、”数学を通して身に付く能力”に由来します。
数学を解くときに使う考え方は、あらゆる問題を解決するためにとても大切です。
「苦手なままでもいいや!」とは言わずに、基礎から果敢に挑戦していきましょう!